大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(行ツ)83号 判決 1984年11月26日

上告人

ホシ産業株式会社

右代表者

星保

右訴訟代理人

辻誠

河合怜

福家辰夫

富永赳夫

関智文

竹之内明

被上告人

東京法務局

供託官

小坂文弘

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人辻誠、同河合怜、同福家辰夫、同富永赳夫、同関智文、同竹之内明の上告理由第一点について

供託申請についての供託官の審査権限は、供託書及び添付書類のみに基づいてするいわゆる形式的審査の範囲にとどまるものであるが(最高裁昭和三六年(オ)第二九九号同年一〇月一二日第一小法廷判決・裁判集民事五五号一二五頁参照)、その審査の対象は、供託書の適式性、添付書類の存否等の手続的要件に限られるものではなく、提出された供託書及び添付書類に基づいて判断しうる限りにおいて、供託原因の存否等当該供託が実体法上有効なものであるか否かという実体的要件にも及ぶと解するのが相当であり、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について

供託申請却下処分の取消訴訟においては、裁判所は、供託官の権限に属する前記形式的審査の範囲内において当該却下処分が適法であるか否かを審理判断すれば足りると解するのが相当であり、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、本件供託申請却下処分に違法はないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(島谷六郎 木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 牧圭次)

上告代理人辻誠、同河合怜、同福家辰夫、同富永赳夫、同関智文、同竹之内明の上告理由

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな、法令の違背がある。

一、原判決は、供託官は「当該供託が実体法上有効か否かという実体的要件についても」審査する権限があると説示し、その理由として次の三点をあげている。

(一) 実体法上無効な供託が行われ無用な混乱を生ずることを可及的に防止すべきであること。

(二) 供託法及び供託規則は、審査の対象となるべき事項について特に制限する規定を設けていないこと。

(三) 供託書には、供託の原因たる事実、供託を義務付け又は許容した法令の条項をも記載すべきことを要求していること。

原判決のいうとおり、実体法上無効な供託が行われることを可及的に防止することは望ましいことではあるが、実体的要件を審査する権限の有無は供託制度にとつては重要な問題であるから、制限規定がないとか、根拠法規等を供託書に記載すべきことを要求しているという理由だけでは、甚だ根拠薄弱である。原判決は、供託制度の目的、供託取扱の機構、手続或いは供託の法律的性質等からの検討を軽視した結論である。

供託法は、その沿革を見ると、わが国に民法が施行されるに伴つて、国民の法律生活の安定に奉仕する目的のもとに、明治三二年法律第一五号をもつて制定されたものであるが、供託制度並びに供託法は、供託法第一条、第二条、第六条に示すとおり専ら供託物の保管にあり、その保管が確実に、手続きが簡易、迅速に行われることを主眼としており、当初供託を行う機関は大蔵省の所管となつていた。それが大正一〇年の法改正によつて司法省(法務省)の所管に変つたが、金銭又は有価証券以外の物品は従前どおり司法(法務)大臣の指定する倉庫営業者又は銀行が供託事務を取り扱う(供託法五条)ことになつており、引続き現在に及んでいる。また供託手続については、当初から窓口的審査方式を採り、供託法及び供託規則は一定の書式を定め、大量の手続が簡易、迅速かつ能率的、画一的に行われることを第一義としている。

供託法と同じ時期に、国民の法的取引に資する目的のもとに制定された不動産登記法(明治三二年法律第二四号)は、供託法と同じく、大量の登記事務を簡易、迅速かつ能率的、画一的に行う必要のために窓口審査方式を採用し、登記官の審査範囲については、制限列挙的にこれを規定している(不動産登記法第四九条)然るに供託法には実体的要件についての審査範囲についての規定は見当らない。こうしたことから見ると、供託法は、供託物が確実に保管され、その手続が正確、迅速に行われることに主眼を置き、当初から実体的要件について供託官に審査義務を課するなどということは、全然考えられていなかつたと解することが合理的である。

原判決は、「供託法及び供託規則は、審査の対象となるべき事項について特に制限する規定を設けていないこと」を積極解釈の一つの理由にあげているが、国民の法的利益に消長をきたす事項について、審査権限があるかどうかという重要な問題については何ら規定がない場合は、審査方式などから見てむしろこれを消極に解することが、解釈論としては正しいのではなかろうか。不動産登記法第四九条が例示的規定では無く、制限列挙的規定とされ登記官は同条に規定された事項に限り審査権限があると解釈されているのは、右のような解釈論を前提とするものである。

原判決は、「供託官において供託の実体的要件について審査し得ると解しても、その審査の範囲及び方法が右のような程度(書面審査により可能な限度)にとどまる限り、審査のためさしたる時間や労力を要するものではないから、これによつて大量の供託事務を簡易、迅速かつ能率的、画一的に処理しようとする法令の趣旨に反するとはいい難い」と説示している。然しながら、問題は、時間や労力のことでは無くて、窓口的審査によつて適正な判断が果して可能かどうかである。大量の供託事務を簡易、迅速に取り扱うために、供託法は窓口的審査方式を採つたのであるが、窓口的審査には自ら限界があり、実体的要件について適正な判断を期待することは、多くの場合甚だ困難である。従つて窓口的審査方式を採る手続の場合には自ら審査範囲を制限せざるを得ないのである。ところが供託法は、こうした規定を持たないのであるから供託官に実体的要件について審査権限が無いと解するのがむしろ合理的解釈である。

本件においても、僅少な法定遅延損害金を付加しない弁済提供が有効かどうかは、原判決もいうとおり極めて微妙かつ困難な問題であつて、窓口審査ではとうてい正しい判断をすることはできない。また遅延損害金の利率の判断も、窓口的審査では困難な問題である。本件では供託官は年五分であると判断している(乙二号証決定参照)が、供託者も被供託者も商事会社であるから、むしろ年六分が正しいと思われる。原判決は、「供託書及び添付書類から」商行為によつて生じた債務と認められるときは商事法定利率を、しからざる限り民事法定利率を「適用して算出した遅延損害金を付して申請がなされたか否かを、それぞれ審査して、供託申請の可否を決定することになる」とかんたんに説示しているが、果して供託官は、窓口的審査だけで正しい判断をすることができるであろうか、現に本件では誤りを侵している。こうしたことから、窓口的審査方式を採る供託法のもとでは、供託官に実体的要件についてまでも審査義務を課することは、困難を強いることになり、また誤りを生ずることにもなり、更に供託の利益をも害することになるので、供託官には実体的要件についての審査権限はないと解することの方が妥当である。(最高裁昭和三六年(オ)二九九号、昭和三六年一〇月一二日判決、裁判集民事五五号一二五頁参照)

更に原判決は、「供託書には、供託の原因たる事実、供託を義務付け又は許容した法令の条項をも記載すべきことを要求している」ことをもつて、積極的解釈の論拠としているが、不動産登記法も登記申請書に「登記原因」を記載すること(第三六条四号)並びに申請書に「登記原因を証する書面」を添付すること(第三五条二号)を要求しているが、供託法と同じくいわゆる形式的審査主義を採る登記法の解釈は、登記官には登記原因について、それが実体法上有効であるか否かを審査する権限はないとするのが解釈論として一致しているところであつて、判例、学説上も異論はない。(杉之原舜一著新版不動産登記法二二〇頁以下・幾代進ママ著不動産登記法新版法律学全集二五巻Ⅱ一四七頁以下・最高裁昭和四二年五月二五日判決民集二一巻九五一頁参照)。

供託法の前記規定は不動産登記法の規定と同様に、形式的要件を審査するために設けられたものと解すべきであつて、実体的要件の有効、無効を審査する権限を付与したものと解釈する論拠とはならない。

二、弁済供託の法的性質から見ても、供託官には実体的要件についての審査権限はないと解すべきである。

弁済供託の法的性質は民法上の寄託契約であるとすることは、最高裁昭和四五年七月一五日大法廷判決(昭和四〇年(行ツ)第一〇〇号事件)以来ほぼ確立した解釈である。しかし、従来学説上は、私法関係説と公法関係説との対立があり、公法関係説を採る一部の論者によると、供託は供託所によつて主宰される一連の民事手続であるとし、「国家機関は、私法的な生活関係に参加するのではなくして、公権力を行使して私人間の法律関係に干渉するものである。当然そこには私人と異つた特権的地位を必要とする」と説き(水田耕一、中川庫雄共著供託法精義一〇頁参照)こうした見解によつて実体的要件についても当然審査権を持つことを正当づけている。この種の見解は前記最高裁大法廷判決が出るまでは供託関係機関の内部において支配的であつたと推測される。こうしたことから弁済供託についても、供託官は特権的地位を意識し私人間の法律関係に干渉し、積極的にその効力を判断する権限を持つものとして、供託事務が慣行的に取り扱われてきたものであろう。本件も正しくその好事例である。

原判決は、供託の実体的要件についても審査権限を行使して弁済供託の受理、却下を供託官が行政機関として決定するという解釈であるから、右見解は前記論者のいう公法関係説を採ることになり、私法関係説を採る前記最高裁判決の趣旨に反することになる。蓋し、供託者と被供託者間の法律関係の存否、効力にまで立ち入り公権力を行使し、供託の受理、却下を決定することが供託官の職務権限であるとすれば、もはや最高裁判決のいう「民法上の寄託契約としての性質」を失い、純然たる公法関係となるからである。

この点から見ても、原判決は、弁済供託の法的性質を顧慮せず判断をした誤りがあるというべきである。

三、原判決は、「提供金額に僅少の不足額があつても信義則上有効な弁済提供と認められる場合のある」ことを認めながら「弁済供託が一旦なされると弁済がなされた場合と同様、債務消滅の効果を生ずるのであるから」、供託官は実体的要件を審査して、「無効な供託即ち債務消滅の効果の生じない供託のなされることを防止すべきことがその制度上要請されていると解される」とし、更に「弁済提供の効力の有無が不明のまま供託するが如きは供託制度の趣旨に反する」と説示している。

ここでは、弁済供託は、「国民の法律生活の安定に奉仕するために設けられたものである」という原判決も認めている供託制度の趣旨は全く見失われている。

行政機関である供託官が、有効か無効か判断困難な弁済供託を認めるか否かについては、先ず供託制度を利用する供託者と被供託者の利益考量に判断基準を置き決定すべきである。供託を認めることによつて被供託者に不利益をもたらすようなことがあれば供託を拒否することも或いは必要であろう。しかしながら、供託官が弁済供託を受理しても、公定力は認められていないので、被供託者はその供託に拘束されることなく自由に債務の消滅を否定し、いつでもこれを争うことができる。殊に被供託者は、債務の一部弁済として受領する旨留保して供託金を受領したときは、その後残債務の主張を容認されているので、何ら被供託者に不利益をもたらすことにはならない。従つて被供託者の利益保護という見地から供託を拒否する理由はない。これに反し、供託者は供託によつて、債務消滅の効果はもとより、これに伴う担保権の消滅、賃貸借契約解除の無効、反対給付請求などを主張するために、弁済供託制度を利用しようとするのであるが、供託の途を封じてしまわれると、そうした主張ができないか或いは著しく困難となり甚しい不利益をこうむることになる。

もともと、弁済供託は、当事者間に弁済提供の効力について争いがあるために、後日司法機関による適正な判断を受けるまで一応供託制度を利用しようとするものであるが、供託機関の窓口的審査によつて、弁済提供の効力が不明であるとして門前払いをくうということでは、いつたい弁済供託の制度は何のため誰のために設けられたものか、その存在意義すら失うことになる。

行政機関の行為規範である公法法規は、常に公益と私益との調整に意を用いてその内容を規定しているのであるから、著しく公益を害する場合は公益優先の措置がとられることも利用者は甘受しなければならないであろうが、供託制度、特に弁済供託制度の場合は、供託却下処分によつて利用者の法的利益を著しく阻害することはあつても、受理処分によつて著しく公益を害するようなことは考えられない。

原判決が、「弁済提供の効力の有無が不明のまま供託するが如きは供託制度の趣旨に反する」とする見解は理解に苦しむところである。

原判決は、「供託者の法的利益と供託機関の権威」とを比較考量して、後者優先の結論を導き出したものであろうが、その不当性は明らかである。権威主義的な発想によつて、国民に奉仕する国家制度の利用を阻害することは、せつかくの制度を、活用されない腐つた制度とする危険がある。

昭和三二年四月一五日民事甲第七一〇号民事局長通達(先例集一巻八〇八頁)には、「不法行為に基づく損害賠償債務については、当事者間に争いがあつても、民法四九四条の要件を充たす限り、弁済供託をすることができる」とある。その解説(法務省民事局第四課編供託事務先例解説三九頁)によると、「受理された供託が実体上有効であるかどうかという問題は、いわば供託の有効要件というべきものであつて」このことと「供託の受理要件とは区別すべきものである」とし、「供託官は、供託受理のための要件は審査するが、供託が有効となるための要件は審査していないのである」と説明されている。供託制度の趣旨にかなつた妥当な見解である。ところが、この解説は続いて「不法行為者は、不法行為時から提供の日までの遅延損害金を付して債務者に提供しなければならず供託にさいしても遅延損害金を含めた額をもつてしなければならないのである」と説明がつけ加えられている。おそらく遅延損害金を付加しない提供は例外なくいつの場合でも無効であるから右にいう受理要件を欠くという解釈であろう。本件裁決(乙四号証)でも「一部提供の不足額が僅少か否か、またその提供が信義則に照らし、実体上有効か否かは供託官の審査権の範囲外に属する問題である。」とし、「債務額を全額提供しなければ適法な提供がないものとして取り扱うべきものである。このことは債務額の不足金の多少にかかわらない」と説明している。

原判決の見解と、右解説の見解とは理論的には多少のくい違いはあるが、いずれも供託制度の利用者である国民不在の議論である。学者も、供託官が、民法四九四条をあまり厳格に解釈して供託を受理しない措置を採ることには、疑問を投げかけている(ジュリスト別冊35号供託先例百選四〇頁、六〇頁参照)。

第二点 原判決には、審理不尽若くは理由不備の違法がある。

一、仮に一歩を譲つて、原判決のいう如く供託官に実体的要件についても審査権限があるとすれば、裁判所は進んで、供託官の当該審査結果に誤まりがないかどうかを審理判決すべきであるところ、原判決はこの点についての判断は、第一審判決を是認して、これを引用している。

ところで、原判決が引用する第一審判決は「原告が供託所に提出した供託書及び添付書類には、法定の遅延損害金を含まない賃料及び付加使用料のみの提供が例外的に有効であると認め得るような事情が全く記載されていないことは明らかである。そうすると被告供託官が、供託書等所定の書面から、原告の遅延損害金を含まない提供を無効なものと判断し、本件弁済供託は有効な弁済提供に対する受領拒絶という供託原因を欠くとしてこれを却下した本件処分には、原告主張の違法はないものというほかなく、その取消しを求める原告の請求は理由がない」と説示している。

右は、供託官の限定された書面のみによる、いわゆる窓口的審査による判断が誤まつていないというだけで、進んで裁判所自ら「司法機関」として、供託官が審査権限ありとして判断を下した実体的要件について、司法審査を加えたものでないことは、その説示によつて明らかである。

行政事件訴訟法における抗告訴訟は、行政の適正な運営を確保することだけを目的とするのではなくて、行政機関の違法不当な行政処分によつて法的利益を侵された国民が、その救済を司法機関に求める手段をして設けられたものであるから、裁判所は行政事件訴訟法上認められた証拠調を行い、行政機関の処分によつて国民の法的利益が害されていないかどうかについて、司法機関として積極的な審理判断をなすべきである。

然るに原判決は、供託官の窓口的審査による判断には誤まりがないというだけで、本件供託における実体的要件である弁済提供が、実体法上有効か無効かについて、進んで、司法機関としての審理判断をしていない。従つて原判決には、明らかに審理不尽若くは理由不備の違法がある。

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